カッパドキアの現実離れした地形は世界の驚異ともいえ、これは激しい火山活動と自然の力によって作り上げられました。
加えて、地質学的発展の第3紀(6500万年から200万年前)のヨーロッパアルプス、アナトリアのタウルス山脈南部によって形成されました。山が形成された"アルプス時代"深い亀裂と大きな地層が生まれました。この亀裂からマグマ(岩の中で熱した状態)がエルジエス、デヴィルリ、メレンディス、ケギボイドラン、ハッサンの円錐形をなす山の表面へと流れ出てきました。
噴火が幾たびも繰り返された後、これらの円錐は大きくなり、タウルス山脈と平行する火山の一続きとなりました。また、火山の影響はゆっくりと弱まり前に作られた丘と谷を覆いました。これによって、台地の様子は一変し、一帯の景色は姿を変えました。
風、気候、風化、雨、雪、そして川がカッパドキアの独特で特徴ある岩の浸食をしてきました。カッパドキアの目まぐるしく変わる気候と豪雨、雪解けなどの急激な変化は、カッパドキアの景色の形成で重要な役割を果たしてきました。加えて、熱された岩が冷める時、膨張してバラバラになるため断片化する原因となりました。隙間に溜まった水が凍り、断片化することもありますが、浸食で最も重要な要因は雨と川です。激しい雨が大地の滑らかな表面に亀裂を生み、渓谷を複雑な形に変え、削られた土などは川で流されました。渓谷の交わる部分に、小川と川が火山の土地を非常に鋭く垂直に形作りました。雨と川がゼルヴェやギョレメなどの渓谷を作り出したのです。
地質学的な驚異
"妖精の煙突"
“妖精の煙突"は、この地域にもともとあった凝灰岩(硬い火山灰)を溶岩が覆い孤立した尖塔に形作られました。高いものは40メートルもの高さがあり、円錐形をみごとに保っています。硬い岩の頂上部に柔らかい岩が覆いかぶさっています。
“妖精の煙突"は、それが腐食するまで、または頂上部が落ちるまで存在し続けます。残された尖塔の崩壊はそれが完全に同じ高さになるまで続きます。
エルジエス
カイセリの南西に位置するエルジエス山は、中央アナトリアで最も高い火山で、ほぼ1500平方kmを覆います。エルジエス山は火山活動を停止し、中心のクレーターは浸食し続けています。これはエルジエス山が他の火山より非常に古いという印象を与えます。カイセリの南西に位置するエルジエスは中央アナトリアで最も高い火山で、1500平方キロメートルをカバーします。火山活動が停止し、クレーターの中心で起こっている浸食によって、エルジエスはこの地域の他の火山より古いもののように感じられます。
エルジエス山は万年雪を抱いていて、そのためヒッタイト時代(紀元前1200年までの2千年)には"ハルカソス" または"白い山" と呼ばれていました。ヒッタイト時代の神殿にはエルジエス山を含むいくつかの山神がありました。カッパドキアのイマムクル地域からは紀元前13世紀の3つの山神の上に嵐神が刻まれた岩が見つかり、ヒッタイト時代、カッパドキアの人々が火山を崇拝していたことを証明しています。実際にエルジエス山の頂上付近で発見された人口のトンネルも、山へ礼拝に行くのに使われていたのかもしれません。
テュポンとゼウスのギリシャ神話とカッパドキアの火山の間には深い関連があるということができます。神話によると、テュポンは恐ろしいドラゴンの頭で、手足に無数のとぐろを巻いた蛇を持ち、燃える岩を口から放つ巨大な怪物でした。火山噴火はテュポンとゼウスの戦いであり、そして、唯一神がジリジア(カッパドキアの一部)に立ちはだかったと言われています。紀元前1000年から続くマラティアのヒッタイトの浮き彫りには、とぐろを巻いた蛇を殺している天気神が描写されています。炎と火山弾は蛇の体から出ています。それは火山を象徴しているのかもしれません。
古代、エルジエスは"Argeus"として知られ、一世紀の有名な地理学者ストラボンなどの多くの歴史化によって言及されています。そして、彼らは山の頂上から黒海と地中海が見えると主張しました。後に、中央アナトリアに大きな湖があり、さらにエルジエスと周囲の地域に火と煙を放出している広大な沼地を持つと訂正しました。
ローマ時代には、カイセリで作られる硬貨にはエルジエスの形がありました。この地域の多数の像からもエルジエスを示すものが見つかり、それらからカッパドキアの人々が以下に崇拝していたかがうかがえます。
16世紀になると、カイセリ出身のトルコの有名な建築家シナンはエルジエスの円錐形の影響を受けました。これによって、イスタンブールのスレイマニエモスクはエルジエスの円錐形が反映されています。
ハッサン山
ギョレメへ行く途中、アクサライの近くにアナトリアで最も印象的な火山の一つ、ハッサン山があります。ハッサン山は2つの頂から成る、海抜約3300mの山です。また、ハッサン山とエルジエス山はほぼ同時期に形成されましたが、中心の噴気孔による断続的な噴火によって、より新しい山に見えます。
クズル・ウルマック / 赤い川
クズル・ウルマック(赤い川)は、トルコで最も長い川です。(約1182km)この川はトルコ東部から始まり、中央アナトリアを通り、黒海まで流れます。土によって川が赤い色になることから"レッド・リバー(赤い川)"と呼ばれています。ヒッタイト時代には"マラッサンティヤ"として、ギリシャ時代とローマ時代には"ハリーズ"として知られたこの川は、歴史的にもとても重要でした。ヘロドトスによると、ハリーズは"黒海地方"と"陸に面したキプロス"として、アナトリアの大地を2つの主要な地域に二分し、ペルシャ人とリュディア帝国の間で自然の境界を作りました。
ペルシャ人に対する抗争の前に、リュディア帝国のクロイソス王が神託へ予言を求めました。予言は「もし、ハリーズを横切るならば、偉大な帝国は崩壊されます。」というものでした。クロイソス王はこれを都合よく解釈し、ギリシャの哲学者で物理学者のタレスがクロイソス王の軍が乾いた川床を横切ることができるように、ハリーズを変えました。しかし、この独創的な解決策ではペルシャの偉大なキュロスの手による敗北から逃れることはできませんでした。
メレンディス渓谷とウフララ渓谷
メレンディスはカッパドキアの主要な川の一つで、ネヴシェヒルの南にあるメレンディス山のスルタン・ピナルから始まっています。多くの場所に水源を供給し、ウフララとセリメ村の間を通り、塩湖の周りにある湿地で終わります。数千年もの間で、ウフララ渓谷の絶壁に小道が作られました。それは全長14km、深さ最高100mもあります。この渓谷に魅せられた人々は、洞窟の住居や、貯蔵地域、修道院や教会をこの絶壁に造りました。
塩湖
塩湖はトルコで2番目に大きな湖で、一時は現在の2倍の大きさでした。メレンディスから新鮮な水が流れ込み、地下から膨大な量の塩が湧き出てきます。夏になると、塩の厚い層が、岸に沿って最大30cmもの厚さに達します。春にはここでフラミンゴ、アオサギ、カモメなどの鳥をこの塩湖の上で見ることができます |