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カッパドキア観光  
ネヴシェヒル  
  NEVSEHIR  

ネヴシェヒルの古代の名前は「ニッサ(Nyssa)」。しかし、オスマン時代には「ムスカラ(Muskara)」と呼ばれていました。スルタンアフメット3世の義理の息子、ネヴシェヒルで生まれたイブラヒム・パシャは、それ故に偉大な利権をもち、建設を行いました。支配下にあった、たった18の家の小さな村はモスク、噴水、学校、食事施設、宿、浴場を持つ村に変わりました。そして、名前もムスカラから新しい都市の意味を持つネヴシェヒルに変わりました。

ダマト・イブラヒム・パシャ・クルリエシ  
  Damat Ibrahim Pasha Kulliyesi  

クルスンル・モスクはダマト・イブラヒム・パシャ総合施設の中にあり、1726年に完成されました。3つの門がある中庭の中央にあるこのモスクは44mの高さの見事なミナレットがあります。"クルスンル"という名前はメインのドームを覆っている鉛板からきています。内装の大部分の装飾は、花のモチーフからなっています。マドラシャ(学校)、図書館、食堂、浴場がこの同じ総合施設の中に入っています。
町で一番の高さを誇るこの要塞はセルジュク時代の隊商の列を攻防するため建てられました。

ネヴシェヒル美術館  
  The Museum of Nevsehir  

ネブシェヒル美術館はダマト・イブラヒム・パシャ・クルリエ内のイスラム教寺院学校において、1967年に市民に開放されました。そして、1987年に現在ある文化センターへ移動しました。
考古学と民族学の2つのセクションに分かれて、展示物が展示されています。考古学のセクションでは新石器時代、銅石器時代、ブロンズ時代とフリギア文明、ウラルチアン文明、ヘレニズム文明、ローマ文明、ビザンチウム文明の工芸品があります。更に、イラン、メソポタミア、キプロスの作品も展示されています。民族学のセクションでは、オスマントルコ時代とトルコ共和国初期の石油ランプ、書面、武器、当時の衣装、手工芸品、絨毯やキリムが展示されています。

 

ギョレメ  
  GOREME  

ネヴシェヒルから約10kmに位置するギョレメは渓谷に囲まれていて、ネヴシェヒル-ウルギュップ-アヴァノスの三角地帯の中心にあります。ギョレメのかつての名前はコラマ、マティアナ、マジャン、アヴジラルです。ギョレメとして知られるこの場所は6世紀に書かれた初期の書物によると、この場所に与えられた最も古い名前がコラマであることが言及されています。 この書物によると、聖ヒエロンは3世紀の終わりにコラマで生まれ、メリテネ(現在のマラティア)で30人の友人と共に迫害されました。そして、切り落とされた彼の手をコラマに住む彼の母親に送りつけられたといわれています。コラマの聖ヒエロンに関してはギョレメ野外博物館のトカル(留め金)教会にとても大きく描かれています。

ギョレメとその周辺はローマ時代のヴァネッサ(アヴァノス)の人々の共同墓地として使われていたと考えられています。I
中世の早い時期からキリスト教の重要な中心部であったギョレメは、11世紀から13世紀に司教モキソスによって管理されていました。ギョレメの近くには修道院、教会、チャペルが膨大な数ありますが、日付の入った碑文がありません。このことから、これらの宗教的な建物は、主に図像や構造上の特徴によって割り出されます。

ギョレメ野外博物館  
  GOREME OPEN AIR MUSEUM  

2世紀の終わり頃、カッパドキアには多くのキリスト教集団が結成されていました。当時そこには2つの司教区があったと知られています。一つはカイセリに、もう一つは長い間キリスト教の中心であったマラティアにありました。
3世紀、聖職者はこの地域をキリスト教の活動の活発な地域へと変えました。4世紀にはカッパドキアは3人の聖者(聖バジル大王(カイセリの司教)、彼の弟ニッサの聖グレゴリー、ナジアンズスの聖ジョージズ)の土地として知られるようになりました。これら3人はキリスト教の思想において新しい統一を作りました。そして、聖バジルの考えと行動は今だなお重要です。彼の教義の一例としては、キリスト教徒の仲間が空腹を抱えていたら、パンを半分与え、世話をするために神を信じなければならないと言いました。また、聖バジルは村や町からあまりに遠くに小さな確立した教会を作りませんでした。毎日の崇拝は伝道師の管理の中で行われました。特権的なグループはエジプトとシリアと類似した集団とは異なり、これらとは分離しました。彼が団体の中に崇拝を導入したという点において、聖バジルは偉大です。そして、彼は決して頑迷ではありませんでした。
ギョレメ野外博物館はこれらの信仰の教育が始まった場所です。同じ手本がにソーアンル、ウフララ、アクサライにも広がりました。

ウルギュップ  
  URGUP  

カッパドキアの中心にあり、ネヴシェヒルから東に約20km。ウルギュップはセルジュク朝時代には"バシサル"と呼ばれ、もっとも重要な入植地でした。ウルギュップの広場にある大理石の噴水、石碑はダマト・イブラヒム・パシャによるものでした。噴水の碑銘は、いろいろな詩人によって書かれ、イスタンブールの著名な石工によって刻まれました。19世紀の記録によると70のモスク、5つの教会、11の図書館がウルギュップに存在したとされます。
ウルギュップのセルジュクとオスマン建築の例は"アルト・カプル・トゥルベ" (6つのドアのある墓)、キリアルスラン墓、タスキン・パシャ・メディレセ、モスク、タスキンパシャ村の墓です。
パンジャルルク、ウゼンギ、ケスィクの近くの谷は歴史的にとても重要で、自然の宝庫です。

ウチヒサール  
  UCHISAR  

ウチヒサールはネブシェヒルから7km、ネブシェヒル-ギョレメの通り沿いに位置し、この地域で最も高い場所にあります。ウチヒサール最初にどのように人が住み始めたかは知られていませんが、ウフララ地方のオルタヒサールやセリメ城に類似しています。
砦の最上部からは、素晴らしい周囲の全景を見ることができます。岩にくり抜かれた多くの部屋は、階段・トンネル・通路でつながっています。残念ながら、砦は侵食が進み、全ての部屋にはたどり着くことができません。
ウチヒサールの西、東、北にある要請の煙突はローマ時代に墓として使われていました。くり抜かれた岩の中には一般に西向きの入り口があり、横たえられた体の上に厚板が置かれました。多くの岩窟教会は城の周辺だけでなく、中からも発見されました。これはギョレメには実際多くの教会や修道院がありウチヒサールから非常に近いことが理由と考えられます。城の上のビザンチンの墓は腐食と略奪により、見所を失いました。ウチヒサール、オルタヒサール、ウルギュップ(バシヒサール)などの砦を持つ町は、長い防御トンネルが遠く周囲の地域まで取り囲んでいたといわれています。しかし、これらのトンネルは所々崩壊していて、実証することができません。

ムスタファパシャ (シナソス)  
  Sinasos  

ウルギュップから南へ6kmのムスタファパシャは20世紀の初めまで、正統なギリシャの家族が住んでいました。19世紀の終わりと20世紀の初めの家は、素晴らしい石細工が見られます。
ギョレメの谷からムスタファパシャの西にはウフララ渓谷に似た小さな谷が広がっています。ウフララでは渓谷の壁に、家、教会、シェルターが壁に作られていて、川が流れています。
ムスタファパシャ周辺の重要な教会や修道院は、コンスタンチン時代のアイロス・ヴァシロス教会、修道士の谷の修道院、聖バジルの教会、ギョレメの谷にあるアラカラなどです。
オスマン時代に建てられた山林の石造りのメドゥレセも素晴らしい建築例です。

アヴァノス  
  AVANOS  

ネヴシェヒルから北東に18kmのアヴァノスの古代名はヴァネッサといいました。
町は陶器で有名で、起源はヒッタイト時代にさかのぼります。地元の職人たちが利用する赤土はクズル・ウルマックから採取されています。

オルタヒサール
防御と居住のために作られたオルタヒサール砦はウルギュップから6kmのネヴシェヒルへの道にあります。この地域の住宅建築での典型的な例は、砦を囲む家々です。谷の側面にはオレンジやレモンなど地中海から来た産物だけでなく、リンゴやジャガイモなどが栽培されています。
谷の周りにはサリジャ教会、チャンバズル教会、タウシャンル教会、バルカン・デレシ教会、ハルラシ・デレ修道院など、非常に興味深い教会や修道院が見つかりました。

オルタヒサール  
  ORTAHISAR  

防御と居住のために作られたオルタヒサール砦はウルギュップから6kmのネヴシェヒルへの道にあります。この地域の住宅建築での典型的な例は、砦を囲む家々です。谷の側面にはオレンジやレモンなど地中海から来た産物だけでなく、リンゴやジャガイモなどが栽培されています。 谷の周りにはサリジャ教会、チャンバズル教会、タウシャンル教会、バルカン・デレシ教会、ハルラシ・デレ修道院など、非常に興味深い教会や修道院が見つかりました。

アクサライ  
  CAPPADOCIA AKSARAY  

アクサライはハッサン山を基に作られ、全てにつながる交差点の中心です。カッパドキアの王アルケラオスが名前の由来で、特にローマ時代にはとても重要な町でした。11世紀にセルジュク朝によりその名前がアクサライに変わりました。
15世紀のウル・ジャミィ、クズル・ミナーレ(エギリ・ミナーレ)などがセルジュク朝の重要な建物のもっとも古い作品として、ジンジリエのマドラサ、ウフララ渓谷、ギュゼルユルトなどがカッパドキアの重要な場所としてそれぞれ挙げられ、これらはアクサライ行政区の境界の中にあります。

ウフララ渓谷  
  IHLARA CANYON  

アクサライから約40km、アクサライーネヴシェヒルの道を11kmの地点にあります。
この渓谷はハッサン山の噴火によるもたらされた玄武岩と安山岩が積もり作り上げられました。メレンディス川はその隙間に流れて、峡谷を削り、今日見られる姿となりました。メレンディス川は"ポタムス・カパドゥクス"と呼ばれていました。カッパドキアの川という意味です。
全長14km、100-150mの高さの谷はウフララから始まり、セリメで終わります。谷壁には多数の住居、教会、墓があります。そしてそれらの幾つかはトンネルと通路でつながっています。
谷は隠れ場所として、防御場所として、そして信仰の場所として修道士にとってはとても理想的な場所でした。
教会の装飾は6世紀から13世紀までのいろいろな年代のものが見ることができます。そして、教会は2つのグループに分けることができます。ウフララ近くの教会はは東洋の影響でフレスコがを持っています。ベルシルマ近くの教会はビザンチン時代の特色を持つ装飾がなされています。
この地域ではビザンチン時代の碑銘はほとんど読むことができません。聖ジョージの教会の13世紀のフレスコ画にセルジュク朝のスルタン・メスド2世(1282-1305)とミザンチンの皇帝アンドロニコス2世の名前が石碑に刻まれています。これはセルジュクの統治者の容認の証明となります。最も保存状態の良いフレスコ画はアージャルト教会、プレンリセキ教会、コカル教会、ユランル教会、キルクダマトゥル教会から見つかっています。

ギュゼルユルト  
  CAPPADOCI GUZELYURT  

ギュゼルユルトはアクサライから45km、ウフララから15kmにあります。美しい自然と19世紀の建築で、カッパドキアを訪問する際は必見の場所です。
キリスト教をこの地域に広めようと励んだナジアンザスのグレゴリーは、ギュゼルユルトを重要な中心地としました。ギュゼルユルトで見つかった教会は、ユクセッキ教会、クズル教会、シルビスリ教会、アフマトゥル教会、コチ教会です。ギュゼルユルトも1891年に教会として建設され、現在はモスクとして使われています。

 

ギュムシュレルの修道院  
  THE MONASTERY OF GUMUSLER  

ギュムシュレルの岩窟修道院は、ニーデから8km、ニーデ-カイセリ道路から4kmにあります。アーチ型のドアは10世紀の修道院の特徴です。北側に岩窟修道院が建ち、岩を刻んで作られた部屋が中庭に沿って並んでいます。教会は十字型に設計され建てられ、中央ドーム、4つのコラム、十字の丸天井、3つのアプスがあります。
見所: 中にはイエスの出生と拝謁が明瞭に描かれています。アプスにはディージズと使徒、聖母マリアの肖像、聖徒と天使の肖像などがあります。.

 
 
 
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